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昭和時代の葬儀について

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昭和時代の葬儀について

昭和時代の葬儀について

2022/05/22

昭和時代では自宅や寺などで葬儀を執り行うことが増え、霊柩車が普及し始めてきました。

都市部では自宅での告別式が広まったことに伴い、祭壇が葬儀の中心に変わっていきました。

白い布をかけた白布祭壇が使用され、次第に祭壇の数や道具の種類が増えてランクが誕生しました。

昭和初期では満州事変で満州を占領したことをきっかけに日中戦争へ繋がり、やがて第二次世界大戦がはじまり、多くの方が亡くなられました。

空襲により葬儀もままならない為(地方にもよる)、ひそやかに執り行うか、そのまま火葬するかなのですが、空襲の爆撃により身元の分からない方はそのまま仮埋葬として、そのまま埋められていたそうです。

また日清戦争や日露戦争のときは、戦没者の遺骨は敬意をもって丁寧に日本に運ばれてきたといいますが、中には遺骨を小包郵便で直接送られたり、新聞紙やたばこの箱に遺骨を入れられ渡されたそうです。

この時代では今ほど遺骨に対してのこだわりが強くはなかったそうで、日本で故人の遺骨にこだわる傾向が大幅に強まったのは、近現代に入ってからだとされています。

なので少しぞんざいな扱いになっていたのですが、それをきっかけなのかは不明ですが、外国の戦場で亡くなった家族の死が自分ごととして現れことによって、遺骨へのおだわりが強くなっていったとされます。

 

次回も昭和時代も葬儀についてです。

 

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